4月の気まぐれ通信 [店主はるちゃんの気まぐれ通信]
4月になり 気持ちのいい毎日が続きます。
桜の花も満開で 大津の三井寺の夜桜が見れました。
さて もうじき 母の日がきます。
60年前なのに いまだに思いだす<悲しい母の日>のお話をします。
今から60年ほど前なので 私が小学2.3年の頃です。
クラスに今井君という 男の子がいました。
いつも黒の学生服でした。今井君には お母さんが亡くなっておられませんでした。
お父さんは確か 大工さんだったかな?
黒の学生服のキンボタンもいつも 1個取れていました。
いつも学生服なので 結構汚れていました。(お母さんがいないから 綺麗に
できなかったんだと今になって 思います。)
当時 『母の日』があり 母の日には 赤いカーネーションの造花を胸につけ
<お母さんありがとう>という小さな紙がぶら下がっていました。
みんなは 赤のカーネーションが配られ つけましたが
今井君には お母さんがいないから 白いカーネーションが渡されます。
子供心に 手渡される今井君の表情が とっても悲しそうな顔なので
なぜか 悲しくなった記憶が 鮮明に残っています。
今考えると とても残酷なセレモニーになりますが
当時は ピンときませんでした。
学校の方も ピンと来なかった時代かもしれません。
2年ほど経って 中止になりました。
今井君の 悲しくて 寂しい母の日の思い出は
60年経った今も私の中に残っています。
桜の花も満開で 大津の三井寺の夜桜が見れました。
さて もうじき 母の日がきます。
60年前なのに いまだに思いだす<悲しい母の日>のお話をします。
今から60年ほど前なので 私が小学2.3年の頃です。
クラスに今井君という 男の子がいました。
いつも黒の学生服でした。今井君には お母さんが亡くなっておられませんでした。
お父さんは確か 大工さんだったかな?
黒の学生服のキンボタンもいつも 1個取れていました。
いつも学生服なので 結構汚れていました。(お母さんがいないから 綺麗に
できなかったんだと今になって 思います。)
当時 『母の日』があり 母の日には 赤いカーネーションの造花を胸につけ
<お母さんありがとう>という小さな紙がぶら下がっていました。
みんなは 赤のカーネーションが配られ つけましたが
今井君には お母さんがいないから 白いカーネーションが渡されます。
子供心に 手渡される今井君の表情が とっても悲しそうな顔なので
なぜか 悲しくなった記憶が 鮮明に残っています。
今考えると とても残酷なセレモニーになりますが
当時は ピンときませんでした。
学校の方も ピンと来なかった時代かもしれません。
2年ほど経って 中止になりました。
今井君の 悲しくて 寂しい母の日の思い出は
60年経った今も私の中に残っています。